【面白かった本】夢をかなえるゾウ1


「自分を変えたい、人生をもっと良くしたい。」


だけど…

「いきなりそんな大胆な行動なんてできない」
「『こんな風に考えてみよう!』なんて言われたって考えられない」

とお悩みの方に是非オススメの一冊です。



本書を読めば、人生を変えるための「小さくて具体的な行動」が分かります。

それは一見「なんの意味があるの?」と思うようなことばかりです。


しかし、神様「ガネーシャ」の話を聞くと、その真意に深くうなずかされ、気付けば「やらずにはいられない」気持ちになっているのです。



目次

1.「夢をかなえるゾウ1」でわかること

冒頭での述べたように、人生をより良くするための、「具体的な行動」がわかります。


本書は主人公の青年と、”ガネーシャ”という名のインドの神様の会話形式で話が進んでいきます。

ガネーシャが青年に1日1個の「教え」を説いて、それを日々実行していく話です。

つまりその「教え」が「具体的な行動」です。


本書には29個の「教え」が詰まっており、その全てが興味深いものです。

その「教え」の特徴を3つにまとめました。

特徴1:簡単に始められる小さな行動

基本的に一個一個の「教え」は誰でもできるような簡単な行動です。

むしろ「そんなことして意味あるの?」と軽視しがちなことばかりです。


しかし、それをやる理由を知ると、その行動に対する見方が一変します。


そういう些細な行動がいかに人生に影響しているか、ガネーシャが答えてくれるのですが、その言葉がとにかく胸に刺さるのです。


小さなことを軽んじていた自分が恥ずかしくなります。

「やらなきゃ」という思いにさせてくれます。

特徴2:過去の偉人や現代の偉人の行動

その「教え」は、過去の偉人、そして現存する偉人たちの言動が元になっています。

なので、まず説得力があります。


そして、その偉人たちが、どんな思考でそういった言動をするのか、というのがわかります。


その偉業ばかりに目が行きがちですが、その裏には実はこんなささいな行動が土台として存在していた、というところがとても面白いです。

特徴3:行動というよりは習慣である

ここまで「行動」という言葉を使ってきましたが、「行動」というよりは日々行うべき「習慣」に近いです。一回やって終わりではなく、それを何回もやって習慣にすることで、その「行動」が人生に影響を及ぼす。

そんな印象を受けました。


習慣にしてこそ、その行動のベースにある考えが、体に染み込むのだと思います。


2.「夢をかなえるゾウ1」で胸に刺さった3つの教え

たくさんの「教え」が胸に刺さって選びきれないので、3つだけピックアップして紹介します。

【教え1】決めたことを続けるための環境を作る

「本気で変わろ思たら、意識をかえようとしたらあかん。意識やのうて『具体的な何か』を変えなあかん。具体的な、何かをな」

私は、刺激的な本や動画を見ては、「まず意識を変えなきゃ」「意識を新たに」と気持ちを奮い立たせ、意識にばかり目を向けていました。


しかし実際は、「変わった気になった自分」がいるだけで、現実は何も変わっていませんでした。


そして、そういった「意識を変えようとする姿勢」を本書は

「楽をしている」

と言います。


この表現にはちょっと正直応えました。

自分がまさにその「楽をしている奴」だと気付かされたからです。


そして、「具体的な何かを変えなさい」と説きます。


例えば、テレビを見る時間を減らしたいのなら、「見ないようにすると心に決める」のではなく、「テレビのコンセントを抜く」ことです。

「テレビのコンセント抜いたら、テレビ見たなっても、一度立ち止まるうやろう。そしたら今までよりテレビ見いひんようになる可能性は、ほんの少しやけど、高くなるやろ。」


ぐうの音も出ません。


大きかろうが小さかろうが、やはり行動するから何かを変えられるのです。

「意識を変えよう」なんて甘っちょろい考えでは何も変わらないということです。


つまり、私が意識を変えようとしていたのは、

「ただ楽をしたかった」だけなんですね。


「具体的な何か」をすることが「変わる」ことです。

スマホをいじる時間を減らすために、午前中はオフラインにして下駄箱にしまっています。

【教え2】お参りに行く

「ええか?成功したいて心から思とるやつはな、何でもやってみんねん。少しでも可能性があることやったら何でも実行してみんねん。つまりやな、『バカバカしい』とか『意味がない』とか言うてやらずじまいなやつらは、結局そこまでして成功したくないっちゅうことやねん」

まさに自分が言われている思いでした。

何も結果を出していないにも関わらず、自分の考えられる狭い範囲で勝手に意味がないと決めつけ、やらないでいたことばかりでした。


ここで大事なのは、「お参りに行くことに意味があるかどうか」ではなく、そういう行動に対して「どう反応するか」ということだと思います。


自分の行動を少し振り返ってみました。

私が何か行動を提示された時の反応はこうです。


<パターン1>

A氏:「まずはこんなふうに考えてみよう!そうすれば行動は変わるよ。」

私:「いやいや、考え方を変えようと思って変えられるなら苦労はないでしょ」


<パターン2>

B氏:「失敗なんて恐れるな!まずはYouTubeでもやってみれば?」

私:「いきなりそんな大それたことはできない。自分にはハードルが高すぎる。」


<パターン3>

C氏:「まずは小さなことから始めよう!ということでお参りにでも行ってみたらどうだ?」

私:「そんなことして何の意味があるの?そんなんで変われるとは思えない。」


わかりますでしょうか?

結局、何を提示されても私はやらないんです。


この中で何かできるとすれば、まずは「お参りに行くこと」ではないでしょうか?


そして、それは「お参り」に限らず、本書にある数々の「教え」です。

それをあれこれ考えず「とりあえずやってみる」のです。


そういう自分にもできる「小さな行動」をやらないのなら、もうできることなどありません。


ここで「お参り」をしなかったら、おそらくこの先も、やらない言い訳を永遠にし続け、何もしない人生を送ってしまう気がしました。

【教え3】靴をみがく

「ええか?自分が会社行く時も、営業で外回りする時も、カラオケ行ってバカ騒ぎしてる時も、靴はずっと気張って支えてくれとんのや。そういう自分支えてくれてるもん大事にできんやつが成功するか、アホ!」

私は普段使うスニーカーやランニングシューズをほとんど手入れしていませんでした。


毎日何千歩という数を支えてくれているのは「ありがたいこと」です。であれば、感謝の気持ちが生まれて自然に大事にするはずです。


それなのに靴を大事にしていないのはどうしてでしょうか?


それは「当たり前になってしまっている」からです。


当たり前だから、そもそも「ありがたいと感じることすらできない」のです。すると当然、そこに感謝は生まれず、大事にしようと思いません。


そして重要なのが、靴に対してそういう態度を取るということは、日常の様々なことに対してそういう態度を取っているということです。


日常に溢れる様々な「ありがたいこと」を「当たり前のこと」として簡単に見過ごす。だから人や物に感謝もしないし、大事にもしない。


そんな人間です。


「靴を磨かない」というのは、そんなことの表れなのです。
そんな人からは当然、人や物は離れていきますよね。


「靴をみがく」という行為一つに、こんなにも人の性質が含まれているとは思いませんでした。


しかし、同時に苦しいです。

これがまさに今の自分です。


とりあえず靴をみがきました。十分に感謝できているかと言われたらわかりません。


でもやるしかありません。「靴をみがくこと」が「当たり前に目を向けること」だと思うからです。


当たり前にまず目を向けないことには、何も始まりません。

3. 最後に

ささいな行動の裏には、「自分には及ばない思考がたくたん張り巡らされている」ことを思い知らされました。

すると、その行動に対する見方も一変します。

ぜひ、”ガネーシャ”の言葉を直接聞いて、それを実感してみてください。



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